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国立大学卒業、24歳無職、25歳海外勤務へ(その3)

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3ヶ月の研修後に東京に同期5人と行くことになった。
具体的になにをやるのかも知らされることなく、右も左もわからないまま東京まで連れて行かれます。東京で働くと行っても自社の事務所があるわけではありません、客先のところで常駐社員として選択肢もないまま働かされます。

当時はよくわからないままそこにいましたが、これがまたIT業界の根深い階層構造になっています。
仕事を直接請けるのはNECや富士通だったりと大手ITベンダーですが、そこから管理系を請け負う系列会社に仕事を委託、そこから数百人レベルのSier会社に開発作業を委託、そこから100人クラスの中小企業から技術者を調達、その中小企業もさらに規模の小さい零細企業から技術者を調達、そんな感じで奇麗に階級別にピラミッド構造ができます。ここで給与や残業代など待遇こそ差があれど、仕事の内容はほとんど一緒です。

こういう環境ではとても奇妙な現象がおこります。たとえば、実際には社員として雇われたのにも関わらず、やっていることはただの派遣社員。出向先の社員たちは自社の社員をプロパーと呼び、調達してきた技術者の会社を協力会社と呼びます。ようはその会社からみると正規社員とその他はただの非正規社員、非正規社員というと響きが悪いから協力会社といってるだけ。

労働基準法とかいちおうありますが、こういう環境では法律とかあってないようなものです。
技術者が現場で一人で出向していても、そこの会社の都合で請負契約にされたり、多重派遣は法律上違法ですが、当たり前のように多重派遣が行われています。上の階層にいる社員たちは労働基準法を守って仕事をしようとするけど、同じ職場で働いていても下の階層の会社へは、長時間労働を平気で押し付けます。

自分がいたところは、100人規模の中小企業です、出向先は数百人規模のSierです。これもまたおかしなことがおこります。現在の日本のIT企業は労働集約型で、大手ベンダーに技術者が集められます。従業員が数百人レベルのSierでも実際に自社で働けるのは営業だったり人事だったりで一部の人だけで、ほとんどが大手ベンダーに出向します。なのでSierの企業と契約してそこに会社に出向しますが、そこからまたそこの社員として大手ベンダーに出向させられる。
だから渡される名刺も他社の名刺を渡されてます、自己紹介も自分の会社名を言わないというのは暗黙の了解です。だからもう論理とかモラルとかめちゃくちゃです。技術者というよりも、都合のいいように使われる奴隷と同じ。

こんな労働環境の仕組みの中で2008年のリーマンショックのような不景気が来たらどんな状況になるか簡単に想像できますよね。
大手ベンターは請ける仕事の全体量が確実に現象し、そうすると、下の系列会社に仕事をまわせなくなります。その系列会社も下に仕事がまわせなくなる。そうするとSierは赤字を防ぐために焦って協力会社の契約を切っていきます。彼らにとって仕事量が減ったとしても、うまく仕事量に合わせて契約社員の契約さえ切ることができれば、自分たちの社員は無傷で不景気を乗り越えることができます。

そしてピラミッドの下流に位置する技術者を派遣させるだけで、利益を得ていた中小や零細企業は一気にひん死状態になります。こんな光景を1年目からまじかで見てきました。経営者や幹部クラスの社員はこういう自体になると、未曾有の不景気が起きたからしょうがないとか言うけど、この構造の仕組みを考えればこうなるのは目に見えてるだろと言いたくなります。

ところどころプロジェクトが縮小したりプロジェクト自体が解散したりする影響で、この会社を辞めるまでにプロジェクトや出向先がわずか1年半で4回も変わることになります。

東京に移って一番最初に入ったプロジェクトは通信系の保守、運用です。運用といってもすでに開発を終えて次世代に移行する前にメインで使っていたシステムだったので、ほんとにやることがなかったです。
チームは出向先の社員1人と自社の先輩の中国人でしたが、仕事自体は何もやることがなかったです。この出向先の社員というのはほんとにだらしない人で、当日欠勤も当たり前、会社に来ても昼からとか、仕事がないのをいいことにやりたい放題でした。
そんなどうしようもないこの社員とは対称的に、このときに出会った中国人の先輩社員はほんとすごい人でした。この人に出会ってから自分の人生は180度かわりました。

(次回に続く)

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国立大学卒業、24歳無職、25歳海外勤務へ(その2)

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大学を卒業し中小企業に勤めるために、青森から仙台まで行きました。
仙台をアパートを借りることになると思っていましたが、入社前に会社に確認したところ、とりあえず研修中の3ヶ月間はホテルに泊まってほしいと言われます。
この年に入社した新入社員はたしか12名。そしてわずか2年あまりでこの新入社員の半分は会社を去ることになります。

入社した時点でえっなにこれ?って思うことはたくさんありました。
例えば、ホームページには従業員は80名いると書いているけど社内には30人くらいしかいないし、東京に支店の住所が書いてあるけど、本当は事務所なんかないよって言われたり。また、同期の一人は入社してから3日目で他社に出向して、出向先の新入社員たちと研修を受けるとか。
当時は下請け構造だとか、客先常駐とか当たり前の業界用語すらまったく知りませんでした。

一番ありえないなとおもったのは、給与面です。
リクナビのホームページには初任給19万5000円、住宅手当5万とか書いてますが、この5万というのは給料に含まれています。つまり、基本給が12万くらいで、そこから住宅手当や物価手当やらついて合計が19万5000円です。ボーナスは初年度は3ヶ月程度とありますが、この基本給に3ヶ月分しただけ。しかも一番最初の夏のボーナスは5万だけ、そこから税金が引かれて3万ちょっと。
どうしてこんなことしているかというと、貧乏な会社の税金対策です。税金として引かれるのは基本給のみで手当は税金の対象に入らないからです。

豪に入れば豪に従うとはよくいうけど、こういうもんだなという感じで陰で文句を言いながらも意外とみなこれを自然に受け入れていきます。文句があるなら辞めればいいそれだけの話です。
誰だってそうですが、社会に出て初めて入社した会社はいいところだと思いたいものです。何かしら自分の中で理由を見つけては正当化していると思います。

一番最初に貰った給料は、税金と会社と折半しているホテル代やらで引かれて12万くらいだった。自炊できないので外に飯食いに行って、週末飲みにいけばあっという間になくなります。こんな給料じゃ、車なんて当分買えないしましてやマイハウスなんてはるか遠い話。
大企業に入った友人と比べると天と地ほど差があります。同じ初任給20万でも住宅費を負担してもらったり、トヨタのグループ会社に入った友人はボーナス50万貰ったとか。
同じように大学を過ごした友達と社会に出た途端こんなにスタート地点が違うなんて。

金銭面ではかなり不満がありましたが、でもそんなにその当時はこの会社に落胆はしていませんでした。給料は安いもののレベルが高い研修を受けることができたし、尊敬できる先輩社員も何人かいたし、相当厳しい社長でしたが言うことに共感できることも多かったからです。

3ヶ月の研修は他の数社の零細企業の新入社員と合同で30名くらいでやりました。1ヶ月目にプログラミングの基礎を学び2ヶ月目でチームを組んでVisual Basicで店舗の生産管理するシステム、3ヶ月目でJavaを使ってwebページを作ったり、短期間で効率よくプログラムスキルを叩き込まれました。
なかには研修中に寝ている奴もいた、金を払っている勉強しているならともかく、金をもらって寝るなんてほんとありえない。そういう奴らはその後の不景気でほとんどが退場したと思います。

プログラムの経験がなかった自分は必死に勉強しました、専門卒や大学でプログラム経験ありの人も何人かいたので彼らに負けまいと、土日もカフェや図書館で勉強したりとかなり前向きに取り組んでいた。
小さい会社で最初は給料は安いけど、結果を出せば必ず給料があがると思っていたし、毎日遅くまで研修をしていましたが、今まで本気で何かに取り組んだことがなかった自分にとって仕事がとても楽しかったからです。

その後3ヶ月が経ち研修が終わって同期5人と東京に行くことになります。
そっからは地獄のような1年間でした。コネも実力もない未熟な技術者が会社を辞めるにはどうしたらいいか、そんなことばっかり考えていました。
そしてそこから人生の大きな舵を自分の手で振るようになります。

国立大学卒業、24歳無職、25歳海外勤務へ(その3)

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国立大学卒業、24歳無職、25歳海外勤務へ(その1)

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先月から海外のインドで働くことになりました。2年前からの目標だった海外勤務を実現することができたので、
一つの節目としてここまでの道のりを紹介します。

経歴をみればわかるように、普通の人とはかなり違ったキャリアを持っています。理工系の学部を卒業しIT系の中小企業に就職、1年8ヶ月で一社目の会社を退職し、フィジーの語学学校へ3ヶ月間留学、そして、2度目の会社に就職するもわずか1年で辞め
現在はエンジニアとしてITの本場インドで働いています。

海外で働いているといっても、純日本企業の開発拠点なので、顧客はばりばり日本企業だし、日本語を流暢にインド人もたくさんいるのでまだまだ目標とするレベルまではほど遠いですが。とりあえずここで最低3年は腰をすえて、ビジネス英語をマスターし、リーダークラスまで上り詰めるつもりです。
それでもまだ28か29歳、まだまだ新しいことに挑戦できる歳です。
25歳エンジニアで海外勤務、これだけ聞くと順調そうに見えますが、ここまでくるのに相当な苦労があります。

まずは、新卒でITの中小企業に入社するまでの話。
大学は国立の理系に通っていました。国立といっても田舎の大学なので偏差値は下から数えてほうが早いようなところ。やりたいこともまったくなく、受験以外でいままでまともに勉強したこともないし、本も読んだことがない、インターネットすらまともに使ったことがなかった。
なにをしていたかというと、寮の友達と酒を飲んだり合コンしたり、バイトをして生活してました、親の金で大学に通う典型的な日本の駄目な大学生。

まわりの友達も似たようなかんじだったけど、やっぱり国立に来るだけあって、就職するときは、皆こぞって大企業やそこそこ名前の通った企業に面接に行っていました。
そんな中自分はというと、大企業に興味はなく、世の中のことをまったく知らなかったのでなんとなくで中小の方がいいと思い込み、100人規模のIT系の企業にばかり行ってました。
社会に出てから知ったけど、日本の中小企業っていうのは大企業の奴隷だと知りました。
その頃自分がイメージしていた中小企業というのは、ベンチャー企業のことです。

世間知らずの大学生でしたが、その年は団塊世代が定年を迎えはじめ就職率はだいぶ良かったし、国立大学出身ということで4社から内定を貰った。翌年からはリーマンショックの影響で一気に就職氷河期に突入し180度景色がかわりました。1個下の後輩や大学院に行くことを決めた友達はほんとかわいそうだと思う。

4社から内定を貰いそのうちの1社に決めた理由は、本社が仙台にあって支店が東京にあったこと。住みやすい東北の仙台に住みたかったことと、都会にでたくなっても希望をだせば行けれるとだろうと安易な理由で決めた。
今でもそうですが、ほんとてきとうな性格だったので。

その頃は、その会社をわずか1年8ヶ月で辞めることになるとは夢にも思いませんでした。まーちょっと調べればわかることだけど、IT業界の中小っていうのはどこも、偽造請負や二重、三重派遣ていうのは当たり前の世界です。入社する社員もIT系の専門卒ばかりで、そこそこ教養のある大学生だったらまず選ばないような
ところです。

これも社会に出てから知ったけど、初任給や初年度の賞与というのは大企業も中小も同じように記載しているけど、福利厚生や昇給額、実際の賞与というのは天と地ほど差があります。
まあこれもちょっと調べればわかることなんですけどね。あまりにも無知だった自分がほんと恥ずかしいです。

次回は入社してからのストーリーを書きます。
国立大学卒業、24歳無職、25歳海外勤務へ(その2)


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プロフィール

yasuyyyy0131

Author:yasuyyyy0131
こんにちはyasuです。
年齢 :24歳
性別 :男性
出身地:青森県
現住所:東京都
趣味 :読書、映画、海外旅行
特技 :iPhoneアプリ自宅開発
資格 :基本情報処理試験
    TOEIC700点
●経歴
・大学を卒業(2008年3月)
・ソフトウェア開発会社就職(2008年4月)⇒退職(2009年12月)
・海外に語学留学(2010年1月)
・転職活動中(2010年5月)

 私の目標は、”起業する”、”世界一周する”、”20代で年収1000万”です。

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